宝光寺様 曹洞宗 東京都西多摩郡 鹿野大仏(通称多摩大仏)
●仏像高:12m ●台座高:3m 総高:15m
翠雲堂は数多くの木彫仏像、そして鋳造仏像を手掛けてきました。仏像は仏師が手掛けたものだけではなく、時代を代表する彫刻家の作品も数多くございます。それは高村光雲(1852〜1934)が仏師であると同時に、偉大な彫刻家であった流れを引き継ぐものです。
翠雲堂は豊富な木曽檜、楠といった木彫素材を持つことから、巨大な木彫仏を造立することも可能です。
肖像彫刻では日展の作家をはじめとする優れた彫刻家が彫刻原型を作りだし、その風格には高い評価を頂いております。
鋳造仏像では通常サイズのものはもとよりのこと、巨大仏像までを手掛けます。巨大仏像は翠雲堂が特許を持つ独自製法により鋳造を行います。
2015年(平成27)秋に逝去した元横綱北の湖をモデルして制作されたのが、彫刻家阿部正基氏(1912〜1978)が原型像を作り、翠雲堂が制作した曹洞宗大本山總持寺(横浜市)三門の仁王像。北の湖関逝去の後、テレビや週刊誌でも取り上げられ、この仁王像のモデルが北の湖関ということが広く知られるようになった。
仁王像の原型制作が始まったのは1968年(昭和43)のことで、北の湖関は初土俵を踏んだばかりの15歳であった。弊社社長の山口豊はその当時のことを次のように振り返る。
「阿部先生は幾つかの相撲部屋を回り、北の湖関を目に留めたのだろうと思います。それほど、素晴らしい筋肉をしていたということですね。私は当時大学生で、父(山口之徳翠雲堂社長)を車で駒沢にあったアトリエまで通った記憶もあります」と翠雲堂の山口豊社長は回想する。
仁王像が完成した頃、北の湖関は新入幕を果たし(1972年1月・18歳7ヶ月)、翌年には小結、翌々年には大関から横綱昇進を果たす。阿部正基氏が見出した仁王像のモデルは、まさに仁王力士像の如く、スピード出世を果たし、大横綱となった。
總持寺三門の仁王像は像高5.45m。総尾州檜製で、翠雲堂松戸工場で制作された。
名横綱北の湖関(本名小畑敏満)のお仏壇は、仁王像制作による仏縁により、翠雲堂が納めている。
大本山總持寺 曹洞宗 横浜市鶴見区 仁王像の制作
原型は彫刻家阿倍正基氏によるもの
頂相(ちんそう・ちんぞう)とは肖像彫刻・肖像絵画のことで、仏教に厳しく向き合う僧侶の姿を描くものだけに、特別な技量が必要とされます。泉岳寺様(曹洞宗)に納めさて頂いた澤木興道老師像は彫刻家鏡恒夫先生が彫塑原型を作り、鋳造したものです。
翠雲堂はこれまで数多くの巨大鋳造仏を手掛けてきています。
乗蓮寺の東京大仏・阿弥陀如来像(浄土宗・東京都板橋区)の仏身は8m、大昌寺(曹洞宗・札幌市白石区)の札幌薬師大仏(北海道大仏)の仏身は8・4m、生月観音(長崎県北松浦郡)の像高は18m、持地院(曹洞宗・酒田市)の酒田大仏(釈迦如来立像)の仏身は13m、塩船観音寺(真言宗醍醐派・青梅市)の聖観音菩薩立像の仏身は10mなど、制作実績はまさに日本一と言われるもです。
造像はまず粘土による原型作りから始まり、原型から石膏原型を作り、さらにこの石膏原型からFRP像を造ります。粘土塑像は可塑性には優れているのですが、重みで形が変わることがあるので、石膏像を作ることで原型とします。
その後原型を元にして拡大図面が作られ、図面を元にしてコンパネと角棒材を巧みに組み合わせて、まるで鳥の巣のような型枠が作られ、この上にラス網が張り巡らされ、石膏を塗り込めることで鋳物型が作られます。この鋳物型は分割されて鋳物工場に運ばれ鋳造され、現地で組み立てることで巨大仏像が生まれます。
翠雲堂の巨大仏像原型製作は、翠雲堂の製法特許。縮小サイズの原型から実寸に加工する拡大原型製作法を社内で開発し、時代を代表する仏師・彫刻家の拡大原型を製作してきました。
時代を経た仏像、傷んだ仏像など、修復・復元が必要な仏像を翠雲堂は数多くお預かりしてまいりました。仏像は仏像毎に必要な修復・復元があり、お寺様・お施主様のご要望をお聞きしながら、翠雲堂は最も適切な手法で大切な仏像を修復・復元させて頂きます。
地蔵菩薩立像の復元
重林寺 真言宗豊山派 東京都豊島区 聖観音菩薩像断層写真